学生の活動

2016年1月21日 (木)

日本中国考古学会に参加しました

昨年12月19、20日の二日間、成城大学でおこなわれた
日本中国考古学会に参加しました。
当ゼミからは、
八木先生が「鄴城およびその付近の東魏・北斉時期の
仏教造像の多様性について」と題し、口頭発表をおこなったほか、
卒業生の末森薫さん(民族博物館)と、劉軍淼(D2)が
ポスターセッションに参加しました。
私のポスター発表のタイトルは
「北魏~北斉時代における曲陽修徳寺出土造像の形式上の
特徴及び変化について」です。
曲陽修徳寺から出土した紀年銘がある如来像を対象とし、
無紀年の造像も含め、造像を年代ごとに分けて分析し、
北魏から北斉時代の造像それぞれの特徴や、各時期に認められる
形式変化を明らかにしました。
今後は引き続き、菩薩像と半跏思惟像の編年およびその形式変化
についての分析をおこなう予定です。
会場では、多くの先生方からご意見を頂きまして、
自分の不足をちゃんと理解しました。いろいろ勉強になりました。
これからも、努力して、頑張ります!
宜しくお願い致します。
                       (文=劉)

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2015年1月21日 (水)

日本中国考古学会に参加しました

先月の日本中国考古学会において、因幡聡美が口頭発表に参加いたしました。

概要は下記の通りです。


「雲岡石窟における遷都前後の造像に関する一考察
                     ―第15窟・第16-1窟を中心に―」

雲岡石窟は、その造営期間が第一期から第三期に分期され研究が行われています。
その中でも第二期は470年頃から494年の洛陽遷都までの期間を指します。
今回の発表では第二期の終わりから第三期にかけての遷都前後に制作された造像を
取り上げました。第二期の終わり頃の、遷都前の時期には第5・6窟という双窟の
造営をはじめ、いくつかの窟の造営が行われていたとされています。それらの中には
初期の計画通りに工事を終えることができず未完工のままとなった窟も存在します。
遷都前の造像に関する先行研究では、第5・6窟のものがたびたび取り上げられて
きました。しかし、それと同時期の造営とされる未完成の窟については十分な検討が
行われていません。
 本研究では、遷都前後の時期において雲岡ではいかなる造像活動が行われて
いたかを明らかにすることを目標に、未完成窟における造像や、遷都前か遷都後かを
曖昧に分けられてきた箇所の造像を含めた考察を行います。今回の発表では、
その研究の一部として、遷都前後とされる造像の特徴を検討するために、未完成窟
でありながら、窟の内部に遷都前後の時期とされる造像が残る第15窟と第16-1窟の
造像に着目し、発表させていただきました。第15窟と第16-1窟の遷都前後とされる
部分の造像を見ると、両窟ともに第5・6窟にある造形が取り入れられ、それを独自に
組み合せて表わす態度で制作されていることがわかります。しかし両窟には窟壁面の
計画や、造像上には共通性は無く、制作に携わった工人が違っていたことがうかがえ
ます。このような現象は、第15窟、第16-1窟一帯における特徴であると考えられます。

 今回の発表では、第15窟、第16-1窟のみの考察となりましたが、
今後は、その他の初期計画が未完工の窟や遷都前後の造像を含め、
遷都前後の造像活動の特徴を抽出していきたいと思います。

                                (文=因幡)

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第15窟上層 
出典:水野清一・長廣敏雄『雲岡石窟』巻十一 京都大学人文科学研究所 1953年 PLATE36


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  第16-1窟
 出典: 『中国石窟 雲岡石窟二』平凡社 1990年 図版140 

                               
                   

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2014年12月 8日 (月)

初唐時期の龍門石窟に見られる同茎蓮華座に関する研究

『中国考古学』第十四号において、

姚瑶(D2)の

「初唐時期の龍門石窟に見られる同茎蓮華座に関する研究」が
掲載されました。
昨年の日本中国考古学会ポスターセッションの発表を基にしたものです。

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2014年6月18日 (水)

博士論文公開審査会が終わりました。

昨日、下村奈穂子さんの博士論文公開審査会が終わりました。

 

お集まり下さいましたみなさま、どうもありがとうございました。

 

 

博士論文「十六・十七世紀の備前焼茶道具の研究」は、

 

16・17世紀の備前焼茶道具の編年を通し、

 

茶の湯における備前焼の位置づけや

 

窯自体のあり方の解明を目的とした研究ですが、

 

備前焼の伝世資料や、茶会記などの文献資料だけでなく、

 

各地に存在する備前焼の消費地で出土の続く考古資料も合わせて

 

丁寧に照合、分析を繰り返したところに独自性と説得力があります。

 

発表後には、活発な質疑応答がおこなわれました。


下村さんの、資料を求めて各地の調査に出かけていく軽やかなフットワークと、

黙々と、堅実に研究を進める集中力を、後輩である我々は

 

みな見習わなければなりません。

 

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夜は、大学の傍のロシア料理のお店に場所を移し、皆で語らいました。

 

下村さん、ご発表お疲れ様でした! (K)

 

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2014年1月29日 (水)

雲岡石窟曇曜五窟開鑿期の仏龕について

『佛教藝術』332号(毎日新聞社、2014年1月)において、熊坂聡美(D2)の
「雲岡石窟曇曜五窟開鑿期の仏龕について」が掲載されました。

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第18窟南壁仏龕〔22〕
(出典:雲岡石窟文物保管所編『中国石窟 雲岡石窟 二』〔平凡社、1990年〕図版173)

(概略)
 曇曜五窟(第20~16窟)は雲岡石窟の中でも最初期に当たる460年代に
造られた石窟群です。五つの石窟内には北魏の歴代五帝のために造られたと
考えられている大仏像が彫出されています。窟内壁面に目を向けると、そこには
数多くの”仏龕”(仏像を安置した厨子のようなもの)が刻まれているのですが、それらの制作時期は様々で、大仏像と仏龕が共に計画的に制作された可能性については
これまで十分に議論されておりませんでした。

 本稿では、その仏龕の中に石窟開鑿期のものが含まれていることを、主に
様式と切り合い関係の点から明らかにしました。そして、五窟の開鑿期の仏龕を
比較した結果、仏龕の刻まれた位置の規則性の有無や細部形式の変化から、

①各窟の壁面の装飾計画には差があったこと、
②最初期の仏龕は、第20窟から次第に東側の窟へ向かって完成された可能性
 が高いこと、
③最初期の仏龕は第18窟に最も多く、細部形式の変化もここで生じているものが
 複数確認できること
④仏龕に見られる造形上の変化は、第18窟の大仏像の袈裟に無数の化仏を
 表す形式や十大弟子像といった特殊な像と呼応していること、そしてそれは当時
 流行した『法華経』と密接な関係を持っていることを示しました。


全体として、曇曜五窟における仏龕の制作が、始めは石窟の造営計画とはほとんど関係を持たずに始まりましたが、それが第18窟において関係を持つようになり、第17、16窟では明らかに壁面を”装飾”する要素として扱われるようになるという段階的な変化があり、それが次の第二期諸窟で開花する窟内全体の装飾性へと繋がっていくのだと考えました。

                                (熊坂) 

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2013年12月23日 (月)

日本中国考古学会に参加しました

去る12月14、15日、駒沢大学で行われた
日本中国考古学会2013年大会に参加しました。

当研究室からは、八木先生が口頭発表の部に参加、
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学生は、姚瑶(D1)が ポスターセッションに参加しました。

どちらも、龍門石窟奉先寺洞についての発表でした。
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今回初めて学会に参加しました。
まだまだ未熟な研究ですが、
会場で先生方からご意見とコメントを頂きまして、
心から感謝しております。引き続き頑張りたいと思います。

                               (文:姚瑶)

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2013年12月21日 (土)

「雲岡石窟第三期諸窟に見られる複合龕に関する研究」

日本中国考古学会の学会誌
『中国考古学』第十三号(2013年12月)において、

因幡聡美(D2・現在、北京清華大学に留学中)の
「雲岡石窟第三期諸窟に見られる複合龕に関する研究」が掲載されました。

要旨はこちらです。

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2013年12月 3日 (火)

備前焼花入―16世紀後半を中心に―

11月30日(土)、
東洋陶磁学会平成25年度第4回研究会(於静嘉堂文庫美術館)にて、
下村奈穂子(D3)が「備前焼花入―16世紀後半を中心に―」と題し
口頭発表をおこないました。

(概要)
国内産陶磁器の花入のうち、初めて茶会記に掲載されたのは、
永禄10年(1567)12月24日、千利休によって使用された備前焼
花入である(『天王寺屋会記』)。また、16世紀代では、茶会記に
おける登場回数も備前焼が最も多い。当時、評価の高かった
備前焼花入について考察を加えることによって、茶の湯での和物
花入の成り立ちがわかると共に、16世紀の備前窯がどのような
姿勢で茶の湯の道具を生産していたのかが明らかにできると考え
られる。そこで、本発表では、茶会記と出土資料を分析し、16世紀
の備前焼花入の代表的器形を提示した。





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2012年12月19日 (水)

日本中国考古学会大会に行って来ました

前回の記事でお知らせしましたように、12/15~16の二日間開催された日本中国考古学会に参加してまいりました。

今回は数々の研究発表の他、九州国立博物館で導入されている文化財用大型X線CTスキャナの見学などもあり大変興味深く拝見しました。
近年、興福寺の阿修羅像などについてこの機材を用いた調査が行われたことは記憶に新しいところですが、そのような調査研究への利用は勿論のこと、取り込んだ三次元情報を石膏像として出力することもできるそうで、博物館におけるハンズオン展示への応用など様々な可能性についてもご教示いただき、期待が膨らみました。

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(写真は因幡聡美のポスターセッションの様子。
ご質問、ご意見等賜りました皆さま、ありがとうございました。)

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2012年12月11日 (火)

日本中国考古学会に参加します

来る12月15、16日に開催される日本中国考古学会(於:九州国立博物館)の
ポスターセッションに当研究室の学生が参加します。
皆さまよろしくお願いいたします。

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タイトル:雲岡石窟第三期諸窟に見られる複合龕に関する研究

                      因幡聡美(博士後期1年、現在北京に留学中)

概要:
山西省大同市の雲岡石窟は北魏皇室のために作られた大型石窟寺院である。その中でも洛陽遷都後に造営された第三期諸窟(494-524)には、「複合龕」という特徴的な仏龕の形式があらわれる。複合龕とは決まった位置に特定のモチーフを配置した追刻龕である。今回の発表では、複合龕という形が全体として何を示していたか、という点について複合龕を構成する個々のモチーフの起源とその組み合わせ方から考察を行う。
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写真: 雲岡石窟第19‐1窟門口右側 複合龕
(出典 水野清一、長廣敏雄『雲岡石窟』第13巻[京都大学人文科学研究所、1955年]図版67)
 

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