調査記

2015年11月 4日 (水)

四川、上海1

9月に続き、今回は四川上海の調査を10月24日から11月3日までおこないました。

四川では西華大学の符永利先生および張成先生の調査に同行させていただき、巴中を中心に多くの石窟を見ることができました。成都経由で巴中に到着した翌日、通Img_0809江の千仏崖、巴中の水寧寺を訪れ、念願の阿弥陀五十菩薩像図などを調査することができました。巴中の仏像は保存が良く、多くが頭部を備えています。日頃頭の無い像ばかり見慣れているので、驚きました。
2日目は巴中の南龕から始まり、北龕、西龕を調査しました。ある程度観光化しているので、行くのは簡単だと思っていましたが、南龕以外はたいへん苦労しました。なにしろ、同行してくださった符永利先生や張成先生たちでさえ、道を聞いても地元の年配の方の言葉が分からず、また若い人は石窟の存在もよくしらず(あるいは、こちらの呼称と地元のひとたちとでは、呼び名が違っていたのかもしれません)、なかなか到着することができませんでした。
西龕はほんとうに分からず、4時になり暗くなりかけ諦めかけていたところ、親切な地元の女性が、わざわざ車に乗り込んで道案内してくれたおかげで、ようやくすべて見ることができました。今、まさに戴冠する如来像など、すばらしい像を見ることができて、幸せでした。思わず、記念写真まで撮ってしまいました。
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四川、上海2

そして3日目は、結構なアドベンチャーでした。旺倉の仏子崖石窟は、行ってみると川向こうにあるのですが、橋がありません。管理している老人によると、文革の頃流されてしまってから無いとのことで、私は早々に断念しましたが、符先生と学生の姚瑶さんは、果敢にも裸足で川に入り調査をしてきました。私は、対岸からその様子や、望遠でいくつか見える造像を見るだけでしたが、先生方から写真を頂き、嬉しかったです。風邪や破傷風を考えると、躊躇してしまう自分はだらしなく、少し反省しました。そのあとは車を飛ばし、巴中の恩陽石窟、石門寺と駆け巡りました。石門寺は、保存がよく面白かったです。

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西華大学で講演会をすることになっていたので、その翌日は南充に向かいましたが、その途中、広安相寺に寄りました。李静傑先生から強く推薦してもらったところで、非常に趣きのある石窟でした。Img_7517_4 一番古い龕は北周から隋時代のものであろうと教えていただいていたので、どれがその龕かみなで探して面白かったです。盛唐およびそれ以降の龕も多くバラエティーにとんでいました。行ってよかったです。しかし、ここに行くのがまた、大変でした。近道をしようとしたのが間違いで、郷道と呼ばれる狭いくねくねとした道と、車がぎりぎりすれ違うことのできる山道が交互に現れ、そこをクラクションを鳴らしながら10キロ以上走行し、ジェットコースターに乗っているような状態でした。実際ジェットコースタより、怖かったです。

西華大学では、なんと400人以上の学生が集まりました。登壇したところ歓声が上がり、講演終了後は30人以上の学生が並んで、私との記念写真やサインを求めてきました。写真はともかく、サインは勘弁して欲しかったのですが、許してもらえませんでした。宝塚のスターさんになったような気分でした。日本では無い経験で、当惑した、というのが正直なところです。

成都に戻って省の博物院を見た翌日、張成先生とお別れして、上海に向かいました。上海では阮荣春院長のお招きで、華東師範大学で授業と講演会をしました。授業は、私が北京大学に留学していた1989年にお会いし、四川の綿陽を案内いただいた何志国先生のゼミで行い、学生さんたちと討論もしました。また翌日は何先生およびその学生さんたちと上海博物院の中国仏教造像を見たのち、大学へ戻って講演会をしました。ここでは阮先生方をはじめ、修士生や博士生が100人くらい集まってくれて、楽しかったです。さらに、豪華な夕食をごちそうしていただいた後、華東師範大学の先生方とお別れし、復旦大学の旧友である劉朝暉先生と会いました。外灘の遊覧船を改装したレストランに連れて行っていただき、ビールを飲みながら、いろいろな話をすることができました。しかし、やはりかなり疲れていたらしく、ホテルに戻ったあと、すぐに意識を失いました。

今回は、本当に有意義な調査旅行でした。お世話になった諸先生方に心から御礼申し上げます。

  

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2015年10月17日 (土)

久しぶりに

本当に、長い間、ブログを更新することなく、過ごしてしまいました。これは、私および研究室の対外的な活動が、12月から6月頃まで休止状態となることと、今年度は6月の中国調査をおこなわなかったことに起因します。しかし、報告すべきことは多々あったことは事実で、やはり私の怠慢が最大の原因であったと反省しています。

「山東地方の唐前期造像に関する一考察」『芸術研究報』35
「西安宝慶寺塔石像龕と同時期の他地域造像について」『仏教芸術』341
「邢窯地区出土の白陶仏龕について」『陶説』751
が、この3月から9月までに発表した私の論文です。
私としては、『陶説』にデビューしたことが画期的で、本年1月12日から17日にかけて大阪市立美術館の主任学芸員である小林仁さんに誘われ、窯地区を調査した際に見た、釉をかけない素焼きの仏龕についての紹介をしました。
Photo_3 いくつか様の仏龕を見たのですが、型を使っていたらしく、ただし、同じ型を使用したものでも、基礎部の長さが異なるため全体の大きさが異なるなど、造りが丁寧ではありませんでした。
近くの南宮後底閣村遺跡から、石灰岩製のほぼ同じ形の仏龕がいくつか出土していることで、白陶仏龕は石造仏龕の代用品、あるいはより廉価な大衆向けの仏龕であったと考えられます。さらにその石造仏龕は、山東省青州市龍興寺趾出土の石造仏龕と極めてよく似ていて、両地区の影響関係が気になります。興味深かったのは、40㌢ほどの個人像の大きな如来倚坐像で、これには褐釉がかけらていました。写真を必死に取っていたところ、同行してくださった方から、これはごく最近釉がかけられたものであることを教えられました。結構驚きました。興味深い経験でした。
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開元期に入ってからの像でなないかと思います。太腿に袈裟がぴったりと貼り付く、おそらくはインドブームにより始まった形式を採用し、胸の筋肉表現は明確ではありませんが、上半身には厚みがあり、立派です。付近からは菩薩像なども陶俑と同じ窯址から出土していますが、これほど大きな像は、見られませんでした。
貴重な経験をさせてくださった、小林仁さんに感謝いたします。帰国前の夜、久しぶりにふたりでお酒を飲みました。学生時代を思い出し、スーパーで買い物をしている小林さんの姿が、ふと脳裏をよぎりました。

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龍門石窟他1

9月17日から24日にかけて、龍門石窟と河北の黄驊市博物館、廊坊博物館に行って来ました。

 龍門石窟では東山を中心に調査をおこない、擂鼓台中洞をはじめ、多くの窟の中に入れていただきました。とくに高平郡王洞では、壁面の小如来坐像を近くからを観察できたことは、幸せでした。色々ご手配いただいた、高先生に心から感謝いたします。右腕に臂釧をつけ、いわゆる成道印を結ぶこの小如来坐像は、同様のものが正壁に1体ありますが、前壁には3体あり、興味をそそられます。
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横から見た胸から腹部にかけての曲線がダイナミックで、しかも抑制がきいており、則天武后期の特徴をよく表していると思いました。
黄驊博物館では、残念ながら白玉像はすべて倉庫に入れられ、代わりに海洋動物展となっていました。マンボウの剥製がありました。陶磁器の陳列は、閉まっていたのですが、無理にお願いして、参観させていただきました。定窯に似た、別の名前の窯から出土した白磁が面白かったです。
  廊坊博物館では、太和仏と初唐時期の石灯を見ました。どちらも大きく、見応えがあります。後者は688年の作成で、ひとつひとつの仏龕脇に、寄進者の名前が刻まれていました。尊格としては、阿弥陀如来を1体確認できましたが、あとは、造像1躯などの表現が多かったようです。

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浮彫りながら、胸の筋肉がはっきりと表され、則天武后期直前に、このような像が、河北の地で造ら れたことは驚きでした。
見なくてはいけない像がまだ多くあるのに、知らない像がさらに多く存在するであろうと考えると、少し、気が遠くなります。ひとつひとつ、見ていかなくてはならないのでしょう。

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2014年11月23日 (日)

2014年中日雲岡学術研討会に参加しました

去る11月5日、

雲岡石窟研究院で開催された研究会に参加してまいりました。

研究院の先生方をはじめ、

雲岡石窟のある大同市内の大学や、台湾の大学などから

発表者が集いました。
当ゼミからは
八木先生が第五および第六窟の工人系統の違いに関する発表を、
熊坂が第一一~一三窟の外壁の窟龕に関する発表をおこないました。
私は相変わらず拙い中国語での発表でしたが、
貴重なご意見をいただくことができ、毎年このように温かく迎えていただけることが
何よりもありがたいと思いました。
前の晩まで遅くまで練習に付き合ってくれた姚さん、劉さんにも感謝です。
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質疑応答の様子。

研究会の翌日、先生は一足先に帰路に着かれたのですが、
一部の学生はそのまま滞在を続けて一日調査をする許可をいただきました。
我々の無謀なるわがままをお許し下さった院長、
そして趙先生や王先生には感謝の気持でいっぱいです。
一日も早く、成果を発表できるようにしたいと思いながら、
今年も石窟を後にしました。

【おまけ・大同の食卓】
雲岡石窟のある大同市の名物を写真でご紹介します。
①うさぎの頭を調味料で煮込んだ料理。
頬の肉は鶏肉に近いです。食べ方にコツがあり、脳みそも食べます。
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②羊の内臓を麺と一緒に煮込んだ料理。
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初めて見た時には少し抵抗がありましたが、食べてみると美味しいです。
                         (文=熊坂)

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2014年8月21日 (木)

サンフランシスコ

8月7日から10日、サンフランシスコに行ってアジア美術館の作品調査をしました。宝慶寺塔将来の造像を見るのが主目的でした。本来龕の中に三尊像が彫り出されていたはずなのですが、現在は単独像です。一応、造りかえてあることは知っていたのですが、やはり衝撃的でした。

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他にも河南省新郷出土と思われる北魏造像や、晋中出土と思われる上元二年銘の弥勒像など、素晴らしい像が多数展示してありました。
東南アジアの展示や陶磁器の展示も面白かったです。
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敦煌莫高窟研究国際学術討論会

8月16日から18日、敦煌研究院で開催された、敦煌莫高窟研究国際学術討論会に出席してきました。日本からは百橋明穂先生をはじめ、田中公明先生、小山満先生、大西磨希子さん、濱田瑞美さん、下野玲子さんが参加し、発表をされました。私の発表は、先日『仏教芸術』でも発表した、敦煌莫高窟の初唐、盛唐時代の西方浄土変相図の展開についてです。中国語で、しかも直前に20分から15分に時間が短縮されたので、早口となり、分かってもらえたかどうか心配です。

本来は15日の夜に敦煌へ行くはずであったのですが、切符がとれず、前日北京で一泊し、翌日6時40分の飛行機に乗って敦煌へ到着しました。5時5分ぐらいに北京の飛行場に到着したのですが、すでにカウンター前は長蛇の列で、遅々として進まず、一瞬敦煌行きを断念しそうになりました。地上乗務員に詰め寄り、時間がない乗客用の窓口を教わり、巨大な飛行場の中を駆け巡り、階段をいくつも降り、ようやく搭乗口に到着しました。全身汗だくでした。
敦煌では、麦積山石窟や青州博物館などの多くの友人たちに会うことができました。王恵明さんや沙武田さん、陳悦新さんには、御著書をいただきました。王恵明さんにはまた、18日に敦煌莫高窟の調査に同行していただき、様々なことを教えていただきました。私が知らない壁画の存在の多さを改めて感じ、少し滅入りましたが、頑張るしかありません。敦煌莫高窟通いはまだ続きそうです。
夜は2晩とも李静傑さんと街に繰り出し、黄河ビールを飲みました。現在私が執筆している論文について、いくつも質問をしたり、またこれからの研究の方向について話し合ったり、有意義で、楽しい時間でした。2日目の夜は、成城大学留学中、私の授業に参加してくれていた敦煌莫高窟資料中心の牛源さんが部屋に訪ねてきてくれて、旧交を暖めました。わざわざ訪ねてきてくれて、嬉しかったです。
北京に戻ってからは、秦大樹さんの学生さんの袁泉さんと張栄栄さんとの会食です。ひとりでつたない中国語をしゃべりまくり、せっかくの北京ダッグの味が変わってしまったかもしれません。でもとても楽しかったです。北京に、これほど洒落たお店があるとは知りませんでした。隔世の感があります。
多くの友人たちに優しく接してもらい、幸せな数日間でした。

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2014年7月14日 (月)

調査再び2

彬県大仏寺では、第23窟を中心に調査しました。以前は、則天文字が沢山あると喜んでいただけでしたが、このごろ初唐造像に興味の中心が移ったこともあり、しっかりと時間をかけて窟内を調査しました。やはり興味が無いとだめで、何度も同じ場所を訪れなくてはならないということを痛感した次第です。
P7060097 第23窟第2龕
翌日、どうしても行きたかった馬家河石窟へ向かいました。急な、舗装していない山道を車で何キロも下るのは、相当に怖かったです。今回は、何度も怖い眼に遭いました。無事でよかったです。
P7060301 馬家河石窟
西安では、初めて宝慶寺塔を訪れました。碑林からこんなに近いところにあったとは知らず、愕然としました。何度も碑林に脚を運びながら・・・と反省しきりでした。歴史博物館の楊効俊さんにいろいろ説明をしていただきました。とても勉強となりました。
P7070333 宝慶寺塔
北京には、私と小沢先生で戻りました。姚さんは龍門石窟に、三井さんは麦積山石窟へ向かいました。みな、自分の研究に合わせて調査地に向かい、頼もしいかぎりです。
北京に戻った翌日、石家庄の河北省博物院に行きました。南宮から出土した初唐の造像を見るのが目的です。建物が、ここも立派で、中国の経済力を感じます。時間があったので陶磁器の部屋も覗いてみました。高麗青磁が出土しているのですね。
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北京に戻って、お世話になった社会科学院の朱岩石さん、何利群さん、そして李裕群さんらと旧交を暖めました。茅台酒を飲んでしまいました。52度だそうです。いろいろ、教えていただき、とても楽しかったです。二日酔いもなく、本当によかったです。
帰国の日は、現在北京大学考古系で陶磁器を研究している、張ロンダさんに、いろいろご迷惑をおかけしてしまいました。本屋さんを巡っていただき、楽しく、有益な時間を過ごせました。ありがとうございます。
私は、8月に敦煌莫高窟の研究会に出席し、10月には、またゼミ生とともに大同や四川を訪れる予定です。2014年は、始まったばかりです。

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2013年9月16日 (月)

2013年中日雲岡学術研討会に参加しました

当研究室と雲岡石窟研究院(中国、山西省大同市)の間でおこなっている
年に一度の研究会も、今年で3回目を数えました。

張焯院長や王恒先生、王雁卿先生など、研究院の方々に直接ご助言をいただくことのできる貴重な場であり、学生は毎年体当たりで臨んでいます。

さらに今回は台湾と天津からの研究者も交え、
昨年以上に多彩かつ充実した学術交流の場となりました。

特に、崖面の非常に高いところに開かれており、普段見学することのできない第6-11窟についての報告(員小中先生)などは、研究院の方からしか聞くことのできない貴重なお話でした。


張院長、毎年温かく迎えていただき、本当にありがとうございます。

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当研究室からは八木先生の他、熊坂、因幡の 2名が
まだまだ研究の進んでいない第三期諸窟に関わる発表を
個別におこないました。

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                   ↑第11-7龕 右脇侍菩薩像

今回は一日目に研究会、
二日目に調査、という日程でした。
日本の小さな机の上で考えていることを
巨大な石窟の前で反芻することの大切さを毎度教えられます。
できれば今後も、この研究会が継続されていくことを願っています。
                        
                           (熊坂)

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2013年9月14日 (土)

久しぶりの中国調査

8月27日から9月の6日まで久しぶりの中国での調査をおこないました。

 参加者は私(八木)以外に、成城大学の小澤正人先生、筑波大学世界文化遺産学専攻の熊坂聡美さん、因幡聡美さん、姚瑶さん、李梅さんの6人です。

 8月28日は、2012年1月に河北省の邯鄲市臨漳県鄴城遺址北呉庄から発見された埋蔵坑出土仏教造像を鄴城博物館において見学しました。
昨年、修復中に見せていただいたときは寝せている状態であったので、今回はまた違った印象を持ちました。北魏時代から隋時代まで、紀年銘を持つ作品が多数出土し、また山東省青州市龍興寺趾出土造像や天龍山石窟との関係を示す作品などが展示されていて、非常に興味深く、さらなる整理が望まれます。
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                  (鄴城博物館)
 
 29日は、洪谷寺石窟、霊泉大住石窟、小南海石窟を訪れました。洪谷寺石窟は初めての参観でした。初唐時代の如来像は、上半身に北斉の様式を残しており、また寺自体も太行山を背に素晴らしい景観でした。ただし、猛烈に暑かったです。小南海石窟は、付近が公園となっていて、人が沢山川遊びをしていて驚きました。舟も浮んでいました。数年前には、何もなかったのですが。石窟でも現在工事が開始していて、しばらく見るのが難しくなるかもしれません。
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     (洪谷寺)
 30、31日は龍門石窟に向かいました。古陽洞や賓陽中洞、蓮華洞をはじめとする北魏窟から、隋時代に本尊が彫り出された薬方洞、また賓陽南洞や極南洞などの初唐窟まで多くの窟の内に入れていただき、調査をおこなうことができたのは、望外の喜びでした。これほど多くの窟に入ることができたのは、初めての経験です。龍門石窟研究所の諸先生には、心からの御礼を申し上げます。
近年、私自身が初唐時代の造像に関心を持つようになったため、北魏時代の石窟を見る時間が短くなり、何人からの学生からは、白い目で見られました。確かに、極南洞や龍華寺洞が素晴らしいと思うようになるとは、数年前まで自分でも想いもしませんでした。
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                                      (龍門石窟の調査風景、賓陽中洞)
 9月1日は、雲岡石窟へ向かい、2日に3度目となる中日学術研討会において、研究発表をおこないました。北京から車に乗り換えたのですが、途中雷がすごく、何度も稲妻が漆黒の闇を走り抜け、壮観ではありましたが、怖くもありました。
研討会については、熊坂さんが執筆した記事をお読みください。
 3日は雲岡石窟の調査で、第9窟から13窟までは、現在工事中で立ち入り禁止であったのですが、無理を言って入れていただきました。他に誰も観光客がいない中での、幸福な時間を過ごしました。研究院内の宿舎に宿泊させていただき、毎夜ごちそうをしていだきました。
張焯院長や、趙崑雨先生には何と御礼を申し上げてよいかわかりません。
毎晩のように兎の頭を頂きました。兎の頭をどのように食べるのか、初めて知りました。
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    (雲岡石窟、第13窟付近)
 4日は、劉建軍先生に鹿野苑石窟と、張家口にある下花園石窟に連れていっていただきました。鹿野苑は寺となり、仏像は真っ赤な衣を纏い、20年ほど前に見たときとは風景も変わっていて、驚きでした。尼僧に中国式の礼拝の仕方を教えていただき、法要の前であったこともあり、10分ほどで退散しました。下花園石窟は、私たちだけでは到底行くことのできない場所でした。雲岡石窟第2期諸窟との関連が窺われ、興味深かったです。
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本来は5日の帰国予定だったのですが、成田から来た飛行機が途中、落雷にあったため欠航となり、一晩空港近くのホテルに泊まることとなりました。いつ帰国できるか不安でしたが、素晴らしいホテルで、夕飯のビュッフエも美味しく、それなりに楽しかったです。カレーを2杯食べました。
久しぶりの中国でしたが、昨年11月に訪れたときより、緊張感が薄れていました。昨年も嫌な目に遭うことはまったっくなかったのですが、やはり空気がとげとげしく感じられたのも事実です。しかし今年は、以前の状態に近くなったようで、ほっとしています。
10月末には、敦煌莫高窟で研究会をおこないます。楽しみです。

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