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2015年10月

2015年10月17日 (土)

久しぶりに

本当に、長い間、ブログを更新することなく、過ごしてしまいました。これは、私および研究室の対外的な活動が、12月から6月頃まで休止状態となることと、今年度は6月の中国調査をおこなわなかったことに起因します。しかし、報告すべきことは多々あったことは事実で、やはり私の怠慢が最大の原因であったと反省しています。

「山東地方の唐前期造像に関する一考察」『芸術研究報』35
「西安宝慶寺塔石像龕と同時期の他地域造像について」『仏教芸術』341
「邢窯地区出土の白陶仏龕について」『陶説』751
が、この3月から9月までに発表した私の論文です。
私としては、『陶説』にデビューしたことが画期的で、本年1月12日から17日にかけて大阪市立美術館の主任学芸員である小林仁さんに誘われ、窯地区を調査した際に見た、釉をかけない素焼きの仏龕についての紹介をしました。
Photo_3 いくつか様の仏龕を見たのですが、型を使っていたらしく、ただし、同じ型を使用したものでも、基礎部の長さが異なるため全体の大きさが異なるなど、造りが丁寧ではありませんでした。
近くの南宮後底閣村遺跡から、石灰岩製のほぼ同じ形の仏龕がいくつか出土していることで、白陶仏龕は石造仏龕の代用品、あるいはより廉価な大衆向けの仏龕であったと考えられます。さらにその石造仏龕は、山東省青州市龍興寺趾出土の石造仏龕と極めてよく似ていて、両地区の影響関係が気になります。興味深かったのは、40㌢ほどの個人像の大きな如来倚坐像で、これには褐釉がかけらていました。写真を必死に取っていたところ、同行してくださった方から、これはごく最近釉がかけられたものであることを教えられました。結構驚きました。興味深い経験でした。
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開元期に入ってからの像でなないかと思います。太腿に袈裟がぴったりと貼り付く、おそらくはインドブームにより始まった形式を採用し、胸の筋肉表現は明確ではありませんが、上半身には厚みがあり、立派です。付近からは菩薩像なども陶俑と同じ窯址から出土していますが、これほど大きな像は、見られませんでした。
貴重な経験をさせてくださった、小林仁さんに感謝いたします。帰国前の夜、久しぶりにふたりでお酒を飲みました。学生時代を思い出し、スーパーで買い物をしている小林さんの姿が、ふと脳裏をよぎりました。

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龍門石窟他1

9月17日から24日にかけて、龍門石窟と河北の黄驊市博物館、廊坊博物館に行って来ました。

 龍門石窟では東山を中心に調査をおこない、擂鼓台中洞をはじめ、多くの窟の中に入れていただきました。とくに高平郡王洞では、壁面の小如来坐像を近くからを観察できたことは、幸せでした。色々ご手配いただいた、高先生に心から感謝いたします。右腕に臂釧をつけ、いわゆる成道印を結ぶこの小如来坐像は、同様のものが正壁に1体ありますが、前壁には3体あり、興味をそそられます。
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横から見た胸から腹部にかけての曲線がダイナミックで、しかも抑制がきいており、則天武后期の特徴をよく表していると思いました。
黄驊博物館では、残念ながら白玉像はすべて倉庫に入れられ、代わりに海洋動物展となっていました。マンボウの剥製がありました。陶磁器の陳列は、閉まっていたのですが、無理にお願いして、参観させていただきました。定窯に似た、別の名前の窯から出土した白磁が面白かったです。
  廊坊博物館では、太和仏と初唐時期の石灯を見ました。どちらも大きく、見応えがあります。後者は688年の作成で、ひとつひとつの仏龕脇に、寄進者の名前が刻まれていました。尊格としては、阿弥陀如来を1体確認できましたが、あとは、造像1躯などの表現が多かったようです。

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浮彫りながら、胸の筋肉がはっきりと表され、則天武后期直前に、このような像が、河北の地で造ら れたことは驚きでした。
見なくてはいけない像がまだ多くあるのに、知らない像がさらに多く存在するであろうと考えると、少し、気が遠くなります。ひとつひとつ、見ていかなくてはならないのでしょう。

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