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2014年11月

2014年11月23日 (日)

2014年中日雲岡学術研討会に参加しました

去る11月5日、

雲岡石窟研究院で開催された研究会に参加してまいりました。

研究院の先生方をはじめ、

雲岡石窟のある大同市内の大学や、台湾の大学などから

発表者が集いました。
当ゼミからは
八木先生が第五および第六窟の工人系統の違いに関する発表を、
熊坂が第一一~一三窟の外壁の窟龕に関する発表をおこないました。
私は相変わらず拙い中国語での発表でしたが、
貴重なご意見をいただくことができ、毎年このように温かく迎えていただけることが
何よりもありがたいと思いました。
前の晩まで遅くまで練習に付き合ってくれた姚さん、劉さんにも感謝です。
B
質疑応答の様子。

研究会の翌日、先生は一足先に帰路に着かれたのですが、
一部の学生はそのまま滞在を続けて一日調査をする許可をいただきました。
我々の無謀なるわがままをお許し下さった院長、
そして趙先生や王先生には感謝の気持でいっぱいです。
一日も早く、成果を発表できるようにしたいと思いながら、
今年も石窟を後にしました。

【おまけ・大同の食卓】
雲岡石窟のある大同市の名物を写真でご紹介します。
①うさぎの頭を調味料で煮込んだ料理。
頬の肉は鶏肉に近いです。食べ方にコツがあり、脳みそも食べます。
Usagi_2
②羊の内臓を麺と一緒に煮込んだ料理。
Yanza


初めて見た時には少し抵抗がありましたが、食べてみると美味しいです。
                         (文=熊坂)

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2014年11月 8日 (土)

中国調査

今年度は、私がアメリカや敦煌莫高窟など、個人で動くことが多かったのですが、ようやく10月27日より、ゼミで調査をおこなうことができました。

まず、筑波大学で博士号を取得し、現在重慶の西南大学で中国現代美術を教えている漆麟さんの招きを受け、四川に向かいました。重慶に行く前に成都で、姚摇さんと劉軍淼さんとともに、龍泉駅、蒲江などの調査をおこないました。龍泉駅自体は近いのですが、摩崖は行きにくく、霧の中、山道を彷徨い、なかなか見つけられませんでした。仕方なく、私が清華大学の李静傑先生に電話をかけて、場所を教えていただいたところ、道が分かり、ようやく到着することができました。北周文王の碑とともに、道教像と如来坐像が並ぶ初唐時代と考えられる龕や、大暦年間の大きな倚坐像などがありました。保存がよく、感動もひとしおでした。摩崖の前に立てられた寺院は、麦積山石窟の瑞泉寺を思い起こさせる佇まいでした。
Img_5615 Img_5642午後は、成都万仏寺出土造像を見るため、博物院に向かいました。しかしなんと大部分が台湾に貸し出されていました。3月までは、戻ってこないそうです。
私は、2度ほど展示を見ているのですが、姚摇さんと劉軍淼さんはがっかりしていました。
錦江飯店に宿泊したのですが、はじめ、夜についたこともあり、ここが25年ほど前に宿泊した錦江飯店だとは気づきませんでした。そういえば、前の道や建物の形になんとなく面影が残っていました。
今回は試しませんでしたが、ここで食べた広東料理が辛かったことを覚えています。

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中国調査2

翌日は、蒲江の摩崖に行きました。現在論文を執筆している、宝冠を被り瓔珞で身体を飾るいわゆる、菩提瑞像を見るためです。生憎の雨でしたが、現地では晴れ、ゆっくりと像を調査することができました。Img_6251

その後、雷玉華さんに勧められていた龍拖湾石窟に向かったのですが、これが難しく、結局お目当ての初唐時代の摩崖は見つけられませんでした。重慶人の漆麟さんさえも、理解できない成都方言の現地の人から情報を得るのは難しく、4時を過ぎ寒くなってきたので、断念することにしました。車のところまで戻ってくると、なんと私たちを待っている間、運転手さんが音楽を聞きすぎたとのことで、バッテリーがあがってしまい、車が動かないという大変な事態になっていました。あたりが暗くなりはじめ、野宿か、と震えていたところ、親切な地元の人が修理の人を呼んでくれて、事なきを得ました。なぜか修理のひとがスーツを着ていて不思議でした。
重慶では、学部生に授業をおこないました。200人ほどが聞きにきてくれ、沢山の質問があり、とても楽しかったです。
 11月1日に、重慶から太原に飛び、そこで熊坂、因幡ダブル聡美さんと合流しました。太原では社会科学院の李裕群先生が、なんと北京から来てくださり、一緒に調査に同行してくださいました。静楽県浄居寺では、6個連なって穿たれた石窟中、一番右の窟に私だけ怖 くて、中へ入れませんでした。
Img_6461_2 年齢を感じます。この写真では分かりにくいのですが、足場が悪く、 石窟の中から出るときのことを考えると脚がすくんでしまいました。
Img_6470
他の窟は、正壁が残念ながら風化が酷かったものの、残りの窟は左右壁ともによく像が残っていました。どれも677年頃の像だそうです。
そして11月3日には、童子寺と天龍山石窟を案内していただきました。李裕群先生が 発掘を指揮した童子寺では、昨年大きな発見があり、24メートルもある 大仏だけでなく北斉時代の美しい像を見ることができました。550年代後半に
これだけのものを造ることができた北斉の文化水準はさすがです。
Imgp3233Dsc_9094

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中国調査3

   天龍山石窟は、童子寺から5キロほどしか離れていません。Imgp3333

現在は、童子寺に行くための良い道がありますが、以前は道なき道に踏み込んで、かなり大変であったことを思い出しました。天龍山石窟も、かつては山の麓から登っていったのですが、しばらく前から山頂から降りてくることができるようになっています。
ここでは、なんと第16、17、21窟を除くすべての窟に入ることができました。第14、18窟は高いところにあり、足場も悪かったのですが、さすがに千載一遇のチャンスを無駄にはできず、勇気を振り絞り、下を見ないようにして木を利用しながら登り、最後は李裕群先生に引っ張ってもらい中に入ることができました。
Img_4987_2
第18窟の像は、とても美しく、感動的です。Img_6981
降りるときのことを考えると、不安で落ち着かなかったのですが、実際に降りると、登るよりずっと楽でした。もっとリラックスして調査すればよかったと悔やまれます。
Imgp3327_2
第18窟は、正壁と東西壁で造営に時間差があったかどうかが、問題となっています。天龍山石窟研究の第一人者である李裕群先生とは意見が異なるのですが、若干正壁の方が遅れるように感じました。青空が広がり、心配していたスモッグはなく、幸運でした。
天龍山石窟参観のあとは、童子寺から出土した像を見せていただきました。思いもかけない西方的な像もあり、興奮しました。                                                                        

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