2016年1月21日 (木)

日本中国考古学会に参加しました

昨年12月19、20日の二日間、成城大学でおこなわれた
日本中国考古学会に参加しました。
当ゼミからは、
八木先生が「鄴城およびその付近の東魏・北斉時期の
仏教造像の多様性について」と題し、口頭発表をおこなったほか、
卒業生の末森薫さん(民族博物館)と、劉軍淼(D2)が
ポスターセッションに参加しました。
私のポスター発表のタイトルは
「北魏~北斉時代における曲陽修徳寺出土造像の形式上の
特徴及び変化について」です。
曲陽修徳寺から出土した紀年銘がある如来像を対象とし、
無紀年の造像も含め、造像を年代ごとに分けて分析し、
北魏から北斉時代の造像それぞれの特徴や、各時期に認められる
形式変化を明らかにしました。
今後は引き続き、菩薩像と半跏思惟像の編年およびその形式変化
についての分析をおこなう予定です。
会場では、多くの先生方からご意見を頂きまして、
自分の不足をちゃんと理解しました。いろいろ勉強になりました。
これからも、努力して、頑張ります!
宜しくお願い致します。
                       (文=劉)

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2015年12月26日 (土)

就職支援講演会がありました

12月上旬、専攻の卒業生をお招きし、
就職活動や現在のお仕事の様子などをお伺いする
講演会がおこなわれました。
博士後期課程の卒業生としては、昨年夏に博士号を取得された
当ゼミの修了生である下村奈穂子さんがいらっしゃいました。

下村さんは現在、東京の根津美術館で学芸員として
ご活躍されています。
お話には、就職前から現在までの様々な内容が盛り込まれておりましたが、
修士時代から長期にわたって
美術館でのアルバイトを続けられてきたことや、
その間学芸員になるために研究の方向性をきちんと定めたうえで
博士後期課程に進まれたことなど、
明確な目標をもって歩まれてきたことが、
現在のお仕事に直結していることがよく伝わってくるお話でした。

また、普段のお仕事の詳しい内容についてもご紹介いただき、
広い庭園内に複数あるお茶室を利用した特色ある活動や、
海外からの来館者の構成など、
様々な角度からご紹介いただけたので
一利用者としても、今後
根津美術館を訪ねる楽しみが増したように感じます。

講演会後は、皆で下村さんを囲んで食事会をしました。
下村さん、どうもありがとうございました!
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                          (く)

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2015年12月20日 (日)

美術遺産演習が終わりました

11月14日、15日に集中講義「美術遺産演習」のため、

関西の美術館や博物館を訪れました。

■ 大阪大学総合学術博物館  
企画展「金銅仏きらきらしーいにしえの技にせまるー」
金銅仏の展示と、その技法や材料の科学的分析の成果を
見学させていただきました。普段、仏像はその様式や形式という視点から
見ていますが、こちらでは成分分析などの
科学的な方面から仏像をながめることができ、新鮮な感覚を覚えました。

■ 大阪市立東洋陶磁美術館
学芸員の小林仁先生より、
館や収蔵コレクション形成の歴史の説明していただきました。
さらに、開催されていた「新発見の高麗青磁ー韓国水中考古学成果展」の
みどころも解説していただきました。
水中考古学の研究成果を踏まえた展示では、
制作された青磁の運搬状況など、かつて人々が青磁を手にするまでの
流通の様子も垣間見ることができました。


■ 白鶴美術館

学芸員の田林啓先生に
展示されている収蔵コレクション一つ一つを丁寧に解説をしていただきました。
青銅器の文様の中にひそかに組み込まれた動物たちは、
一人で見学していたら見落としていたかもしれません。
また、二階に展示してあった中国北魏時代のものとされる
耳飾りに彫刻された小さな仏像が忘れられません。

■ 大阪市立美術館
学芸員の齋藤龍一先生のお計らいにより、
中国南北朝時代や唐の石仏、金銅仏のコレクションを
真近で見学させていただきました。
以前展示室で見たことがある、もしくは、
図版や写真データで見慣れていると思っていたものでも、
さまざまな角度や違う光線の下で至近距離で見るとまったく違う姿に
見えることが面白くもあり、対象を実見し観察し続ける大切さを
改めて痛感しました。


※お世話になりました学芸員の先生方、誠にありがとうございました。

                                    

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(写真:大阪市立東洋陶磁美術館にて、
出川館長、小林仁先生、白鶴美術館山中先生と記念撮影。)

                       (文、写真=因幡)

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2015年11月 7日 (土)

只今、開催中!

只今、世界遺産専攻では大学会館アートスペースにて

『世界遺産専攻 麦積山石窟研究展』
を開催しております。(会期は11/29まで)
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雙峰祭(学園祭)期間中である本日と明日の二日間は
11:00~15:00に限り、麦積山石窟芸術研究所より
お借りしている壁画片の展示もおこなっております。
この時間中は、保存科学の学生とともに、
実際に顕微鏡で壁画片を観察していただくコーナーや、
以前専攻で制作したQTVR(PCを操作して麦積山の風景を
様々な角度から立体的に見ることのできる映像)に触れていただくコーナーも設けており
お陰さまでご好評をいただいております。
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お近くにお越しの際は、ぜひ、お立ち寄り下さい。
よろしくお願いいたします。

展示作業の様子
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2015年11月 4日 (水)

四川、上海1

9月に続き、今回は四川上海の調査を10月24日から11月3日までおこないました。

四川では西華大学の符永利先生および張成先生の調査に同行させていただき、巴中を中心に多くの石窟を見ることができました。成都経由で巴中に到着した翌日、通Img_0809江の千仏崖、巴中の水寧寺を訪れ、念願の阿弥陀五十菩薩像図などを調査することができました。巴中の仏像は保存が良く、多くが頭部を備えています。日頃頭の無い像ばかり見慣れているので、驚きました。
2日目は巴中の南龕から始まり、北龕、西龕を調査しました。ある程度観光化しているので、行くのは簡単だと思っていましたが、南龕以外はたいへん苦労しました。なにしろ、同行してくださった符永利先生や張成先生たちでさえ、道を聞いても地元の年配の方の言葉が分からず、また若い人は石窟の存在もよくしらず(あるいは、こちらの呼称と地元のひとたちとでは、呼び名が違っていたのかもしれません)、なかなか到着することができませんでした。
西龕はほんとうに分からず、4時になり暗くなりかけ諦めかけていたところ、親切な地元の女性が、わざわざ車に乗り込んで道案内してくれたおかげで、ようやくすべて見ることができました。今、まさに戴冠する如来像など、すばらしい像を見ることができて、幸せでした。思わず、記念写真まで撮ってしまいました。
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四川、上海2

そして3日目は、結構なアドベンチャーでした。旺倉の仏子崖石窟は、行ってみると川向こうにあるのですが、橋がありません。管理している老人によると、文革の頃流されてしまってから無いとのことで、私は早々に断念しましたが、符先生と学生の姚瑶さんは、果敢にも裸足で川に入り調査をしてきました。私は、対岸からその様子や、望遠でいくつか見える造像を見るだけでしたが、先生方から写真を頂き、嬉しかったです。風邪や破傷風を考えると、躊躇してしまう自分はだらしなく、少し反省しました。そのあとは車を飛ばし、巴中の恩陽石窟、石門寺と駆け巡りました。石門寺は、保存がよく面白かったです。

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西華大学で講演会をすることになっていたので、その翌日は南充に向かいましたが、その途中、広安相寺に寄りました。李静傑先生から強く推薦してもらったところで、非常に趣きのある石窟でした。Img_7517_4 一番古い龕は北周から隋時代のものであろうと教えていただいていたので、どれがその龕かみなで探して面白かったです。盛唐およびそれ以降の龕も多くバラエティーにとんでいました。行ってよかったです。しかし、ここに行くのがまた、大変でした。近道をしようとしたのが間違いで、郷道と呼ばれる狭いくねくねとした道と、車がぎりぎりすれ違うことのできる山道が交互に現れ、そこをクラクションを鳴らしながら10キロ以上走行し、ジェットコースターに乗っているような状態でした。実際ジェットコースタより、怖かったです。

西華大学では、なんと400人以上の学生が集まりました。登壇したところ歓声が上がり、講演終了後は30人以上の学生が並んで、私との記念写真やサインを求めてきました。写真はともかく、サインは勘弁して欲しかったのですが、許してもらえませんでした。宝塚のスターさんになったような気分でした。日本では無い経験で、当惑した、というのが正直なところです。

成都に戻って省の博物院を見た翌日、張成先生とお別れして、上海に向かいました。上海では阮荣春院長のお招きで、華東師範大学で授業と講演会をしました。授業は、私が北京大学に留学していた1989年にお会いし、四川の綿陽を案内いただいた何志国先生のゼミで行い、学生さんたちと討論もしました。また翌日は何先生およびその学生さんたちと上海博物院の中国仏教造像を見たのち、大学へ戻って講演会をしました。ここでは阮先生方をはじめ、修士生や博士生が100人くらい集まってくれて、楽しかったです。さらに、豪華な夕食をごちそうしていただいた後、華東師範大学の先生方とお別れし、復旦大学の旧友である劉朝暉先生と会いました。外灘の遊覧船を改装したレストランに連れて行っていただき、ビールを飲みながら、いろいろな話をすることができました。しかし、やはりかなり疲れていたらしく、ホテルに戻ったあと、すぐに意識を失いました。

今回は、本当に有意義な調査旅行でした。お世話になった諸先生方に心から御礼申し上げます。

  

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2015年10月17日 (土)

久しぶりに

本当に、長い間、ブログを更新することなく、過ごしてしまいました。これは、私および研究室の対外的な活動が、12月から6月頃まで休止状態となることと、今年度は6月の中国調査をおこなわなかったことに起因します。しかし、報告すべきことは多々あったことは事実で、やはり私の怠慢が最大の原因であったと反省しています。

「山東地方の唐前期造像に関する一考察」『芸術研究報』35
「西安宝慶寺塔石像龕と同時期の他地域造像について」『仏教芸術』341
「邢窯地区出土の白陶仏龕について」『陶説』751
が、この3月から9月までに発表した私の論文です。
私としては、『陶説』にデビューしたことが画期的で、本年1月12日から17日にかけて大阪市立美術館の主任学芸員である小林仁さんに誘われ、窯地区を調査した際に見た、釉をかけない素焼きの仏龕についての紹介をしました。
Photo_3 いくつか様の仏龕を見たのですが、型を使っていたらしく、ただし、同じ型を使用したものでも、基礎部の長さが異なるため全体の大きさが異なるなど、造りが丁寧ではありませんでした。
近くの南宮後底閣村遺跡から、石灰岩製のほぼ同じ形の仏龕がいくつか出土していることで、白陶仏龕は石造仏龕の代用品、あるいはより廉価な大衆向けの仏龕であったと考えられます。さらにその石造仏龕は、山東省青州市龍興寺趾出土の石造仏龕と極めてよく似ていて、両地区の影響関係が気になります。興味深かったのは、40㌢ほどの個人像の大きな如来倚坐像で、これには褐釉がかけらていました。写真を必死に取っていたところ、同行してくださった方から、これはごく最近釉がかけられたものであることを教えられました。結構驚きました。興味深い経験でした。
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開元期に入ってからの像でなないかと思います。太腿に袈裟がぴったりと貼り付く、おそらくはインドブームにより始まった形式を採用し、胸の筋肉表現は明確ではありませんが、上半身には厚みがあり、立派です。付近からは菩薩像なども陶俑と同じ窯址から出土していますが、これほど大きな像は、見られませんでした。
貴重な経験をさせてくださった、小林仁さんに感謝いたします。帰国前の夜、久しぶりにふたりでお酒を飲みました。学生時代を思い出し、スーパーで買い物をしている小林さんの姿が、ふと脳裏をよぎりました。

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龍門石窟他1

9月17日から24日にかけて、龍門石窟と河北の黄驊市博物館、廊坊博物館に行って来ました。

 龍門石窟では東山を中心に調査をおこない、擂鼓台中洞をはじめ、多くの窟の中に入れていただきました。とくに高平郡王洞では、壁面の小如来坐像を近くからを観察できたことは、幸せでした。色々ご手配いただいた、高先生に心から感謝いたします。右腕に臂釧をつけ、いわゆる成道印を結ぶこの小如来坐像は、同様のものが正壁に1体ありますが、前壁には3体あり、興味をそそられます。
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横から見た胸から腹部にかけての曲線がダイナミックで、しかも抑制がきいており、則天武后期の特徴をよく表していると思いました。
黄驊博物館では、残念ながら白玉像はすべて倉庫に入れられ、代わりに海洋動物展となっていました。マンボウの剥製がありました。陶磁器の陳列は、閉まっていたのですが、無理にお願いして、参観させていただきました。定窯に似た、別の名前の窯から出土した白磁が面白かったです。
  廊坊博物館では、太和仏と初唐時期の石灯を見ました。どちらも大きく、見応えがあります。後者は688年の作成で、ひとつひとつの仏龕脇に、寄進者の名前が刻まれていました。尊格としては、阿弥陀如来を1体確認できましたが、あとは、造像1躯などの表現が多かったようです。

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浮彫りながら、胸の筋肉がはっきりと表され、則天武后期直前に、このような像が、河北の地で造ら れたことは驚きでした。
見なくてはいけない像がまだ多くあるのに、知らない像がさらに多く存在するであろうと考えると、少し、気が遠くなります。ひとつひとつ、見ていかなくてはならないのでしょう。

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2015年4月 1日 (水)

研究室のメンバー

研究室のメンバーと研究テーマをご紹介します。

■ 学年、氏名、研究テーマ

D3  姚瑶     「唐時代の阿弥陀像研究」

    劉軍淼  「東魏北斉時代の白玉像研究」

M2  松尾寛子 「桃山~江戸時代の茶陶」


(※ 2016年4月現在。休学者は除く。)

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2015年1月21日 (水)

日本中国考古学会に参加しました

先月の日本中国考古学会において、因幡聡美が口頭発表に参加いたしました。

概要は下記の通りです。


「雲岡石窟における遷都前後の造像に関する一考察
                     ―第15窟・第16-1窟を中心に―」

雲岡石窟は、その造営期間が第一期から第三期に分期され研究が行われています。
その中でも第二期は470年頃から494年の洛陽遷都までの期間を指します。
今回の発表では第二期の終わりから第三期にかけての遷都前後に制作された造像を
取り上げました。第二期の終わり頃の、遷都前の時期には第5・6窟という双窟の
造営をはじめ、いくつかの窟の造営が行われていたとされています。それらの中には
初期の計画通りに工事を終えることができず未完工のままとなった窟も存在します。
遷都前の造像に関する先行研究では、第5・6窟のものがたびたび取り上げられて
きました。しかし、それと同時期の造営とされる未完成の窟については十分な検討が
行われていません。
 本研究では、遷都前後の時期において雲岡ではいかなる造像活動が行われて
いたかを明らかにすることを目標に、未完成窟における造像や、遷都前か遷都後かを
曖昧に分けられてきた箇所の造像を含めた考察を行います。今回の発表では、
その研究の一部として、遷都前後とされる造像の特徴を検討するために、未完成窟
でありながら、窟の内部に遷都前後の時期とされる造像が残る第15窟と第16-1窟の
造像に着目し、発表させていただきました。第15窟と第16-1窟の遷都前後とされる
部分の造像を見ると、両窟ともに第5・6窟にある造形が取り入れられ、それを独自に
組み合せて表わす態度で制作されていることがわかります。しかし両窟には窟壁面の
計画や、造像上には共通性は無く、制作に携わった工人が違っていたことがうかがえ
ます。このような現象は、第15窟、第16-1窟一帯における特徴であると考えられます。

 今回の発表では、第15窟、第16-1窟のみの考察となりましたが、
今後は、その他の初期計画が未完工の窟や遷都前後の造像を含め、
遷都前後の造像活動の特徴を抽出していきたいと思います。

                                (文=因幡)

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第15窟上層 
出典:水野清一・長廣敏雄『雲岡石窟』巻十一 京都大学人文科学研究所 1953年 PLATE36


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  第16-1窟
 出典: 『中国石窟 雲岡石窟二』平凡社 1990年 図版140 

                               
                   

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